2013年2月13日水曜日

【おぼえがき】左右(および経済)

濱口桂一郎氏によれば、日本の左派は「成長」という言葉を嫌っているという。

hamachanブログ(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-8159.html)

ジョブ型労働市場のヨーロッパでは、経済成長はジョブの増加を導き、それは就業者を増加させることになる。
したがって、成長とは左派のスローガンなのである。
対して、日本の労働現場では「成長」という言葉をハードワークを肯定する文脈で使用するところ、これがブラック企業的な文化を支えている、という指摘である。

ここでは「成長」という言葉を何に適用しようとしているか、というズレが表れている。

ところで、ヨーロッパにおいて「右派」とは何を目指しているだろうか。
近年話題になっているのは、財政危機に陥っている国々で「右傾化」が進み、外国人労働者を排斥することをスローガンとする政党が支持を集めていることである。
(ただし、外国人労働者が多くを占める産業は国内では不人気である、という事実が指摘されている点は見逃せない。また、このスローガンは最右派のものであり、国民もその事実を知っているようである。それにもかかわらずこのスローガンが支持を集めるのはなぜか、という疑問は政治学的にも興味深いだろう。)

これをもう少し抽象的に説明するならば、外国人を経済と社会から退出させることを示している。
つまり、右派は経済と社会から得られる利益(パイ)の享受者を限定することに目標を設定していることになる。右派は利益の再分配に関心を持っている、という傾向があるのかもしれない。

日本で右派といえば、しかし、少なくとも経済的側面ではアメリカ型のネオ・リベラルを指しているように見える。代表格は経団連だろうか。
そこでは財政赤字の削減と(産業および法制度の)構造改革が唱えられる。Deficit Scoldsである。
これは、ヨーロッパの社会民主主義が目指すような官僚制に重要な役割を与える福祉国家とは異なるものを目指している。

もっとも、右派といっても経済と政治ではそのテーマは異なっている点は注意しなければならない。
政治における右派とは、それは憲法9条、歴史認識と外国人参政権の問題に関するものである。
ここでは左派はまぎれもなく右派のカウンターパートとして存在する。
(ただし外国人参政権については、そもそも国民国家は政治社会の参加者を国民身分を有する者に限定している、という憲法学上の命題がある。少なくとも、同じように見えながらも外国人参政権と外国人労働者の問題は次元が異なる点が重要である。)
そして、ここでの右派の主張はせいぜい政治社会からの外国人排斥を示すにすぎない。
経済社会からの排斥を指してはいないのである。

これは、まだ日本国内では労働市場のinternationalizationが進んでいない、ということと関係がありそうである。
ただし、労働市場ではないものの、最近では社会から外国人を排斥する動きが見られないわけではない。
これはやがて日本全体で経済社会から外国人を締め出す動きにつながるのだろうか?

それでは左派は「排斥しない主義」なのだろうか。
これは難しい問題のように思える。
ヨーロッパにおける左派も「成長」という概念で外国人(社会における異質)の問題を押しつぶしているにすぎない可能性がある。人道主義の先にあるものを考え直さなければならないかもしれない。

近年では絆やつながり、包摂といった言葉が流行しているが(同様にヨーロッパでも左派のスローガンの一つは「連帯」であり、これは右派も異なる意味で好んで使う)、日本国民もこれらの言葉の曖昧さ(vagueness)に絡め取られてしまうのだろうか?

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